私は日頃「庭」を心の表現の場だと言っている。
それは二つに分けることができる。
一つ目は、禅僧として今日まで修行を重ねてきた私自身の心の表現、即ち「自己の表現」。
二つ目は、客をもてなす亭主の立場に立った心の表現である。
そもそも禅では、「心の状態」という目に見えないものを抽象化し何かの形に置き換えて自己を表現しようとする。
即ち、これが「自己の表現」である。
その方法は墨絵・書・庭など様々であるが、表現しようとするものは常に変わることはない。
従って禅者にとって「自己の表現」の手法は問題ではない。
自分の得意とするものを選べばよいだけの事である。
庭づくりというものは、おそろしいものでもあるが、また面白いものでもある。
従って私が庭を造る時、私自身の力量を超すものは出来ない。
これまでの修行によって出来上がった今の私そのものが庭となって出来上がるだけのことである。
庭は私の分身、私の心を写す鏡。
時を経て同じ庭を見る時、必ず新たな感激や感動がある。
私にとって「庭」は造ることも、眺めることも修行であり
またその道場なのである。